BAD END
ただの個人の掃き溜めです。
最近読んだ本とか。
読書たまってたので纏めて感想書いておきます。


①「秀吉家臣団の内幕 天下人をめぐる群像劇」
内容はほぼしっかりしていると思ったけれど豊臣好きとしては
根底に秀吉様に対する視線に冷たいものを感じたから私はこれダメだった。



②「真田丸の謎―戦国時代を「城」で読み解く」
千田せんせーのお顔をTVで月に数回見ているせいで昨年とは比べ物に
ならないくらい親しみ感じるし(出丸的な意味での)真田丸ヲタクかってくらい
真田丸ばかり目にしている気がする。
これは今年の正月にTVで見た内容を文庫にしただけって感じかな。



③「北政所と淀殿―豊臣家を守ろうとした妻たち」
小和田さんの本基本的に合わないんですけど、これはミネルヴァの北政所と淀殿本の
二番煎じではとしか思えなかった。
本文引用して私も同意です、って書いてるところ多過ぎません?そんなものなのかな。



④「くせものの譜」
アマンゾのレビューがやたら高い一冊。
御宿勘兵衛みんな好きねえ。私も好き;;大坂の陣の描写が熱い。



⑤「 『信長記』と信長・秀吉の時代」
信長記ではなく大こうさまくんきのうち目当てで読んだ。
史料の研究が凄くて信長記マニアなら読み応えあって良いのではないでしょうか。

大こうさま~の項目を書かれていた矢部 健太郎さんは今度秀次切腹の御本を出される方か。
これも発売されたら読んでみたいな。




⑥「演劇界 2016年 03 月号」
今年一月、新春大歌舞伎で見た二条城の清正の舞台写真が載っているやつ。
あの思い出が蘇る;; 二条城の清正凄く良かったなあ。



⑦「真田歴史読本 戦国最後の戦いに挑んだ日本一のつわもの」
先日の上田観光の際に連れていった一冊です。
観光ガイドとしても読み物としても充実の一冊。



⑧「桐一葉 (歌舞伎オン・ステージ (24))」
且元は豊臣好きの中でも評価分かれるしどっちかと言うと嫌いな人のが
多いのかもしれないけど、且元を忠臣とするイメージはここに始まりここに終わる(?)
のかもしれないなあと思ったり。且元も被害者だと思うのよね…。
そりゃあ備前島とか徳川に行ってからのことは許せないけど…もやもや。



ツイログ。


<3/12>
あとがきの第一声で近年秀吉様は人気がないとか書くような人の本だよ。家臣団の変遷なのに黄母衣衆に豊前毛利もいないしダメダメ。 秀吉家臣団の内幕 天下人をめぐる群像劇 (ソフトバンク新書) ソフトバンククリエイティブ

3/12 1:57[ Twitter for iPhone ]

創業期、建設期伸長期変革期、運用金 期、分裂期、崩壊期、の七つに分けどのような武将が秀吉様の家臣団として活躍していたかを描いており出て来る武将や逸話等も講談の内容も多いけど紹介されていたけれど肝心な根っこの部分が豊臣崩壊は仕方ないみたいなスタンスだから信者としては評価出来ない。
3/12 1:59[ Twitter for iPhone ]

インテリジェンス・オフィサーと言う言葉の多用を始め時々ビジネス用語なのか何なのか知らないけどカタカナ入れるのは流石ソフトバンク新書って感じする。単語が浮いてるんだよ。歴史の本として読んでたけどもしやビジネス書の体なので?
3/12 2:02[ Twitter for iPhone ]

後書き読まずに淡々と読む分には豊臣家臣団の名だたるオールスター武将の登場にワクテカするし木村重茲の名前を数カ所で見たし、片桐貞隆についても兄と共に主要な戦いに参加し方広寺鐘銘事件の際も二人で豊臣と徳川の折衝を務めているとか書いてあってちゃんと言及してるところは良かった。
3/12 2:10[ Twitter for iPhone ]

小牧長久手の戦いで豊臣最古参の神子田正治を失脚させたのは、まだ豊臣に忠誠を誓うか分からない織田家臣を処罰出来ない状況で、見せしめとしての処罰だったのだろうと。実際に長久手で大敗を喫したのに総大将の秀次や軍官の堀秀政は叱責で済んでいる。その後は高野山蟄居の後自刃を命じられている。
3/12 2:16[ Twitter for iPhone ]

マジで後書きが全てを台無しにしてるし秀吉様の明るさを見逃していた、本書を読んで秀吉様にネガティブな人も秀吉様の魅力に気づいて貰えたら、とか書いてて草生えた。秀吉様の魅力は確かにそこそこ書かれてはいたけど、豊臣過敏症は言葉の底に著者の豊臣ネガを感じるからそこはどうしようもない。
3/12 2:21[ Twitter for iPhone ]

第一章の真田信繁と大坂の陣が、本当いつも通りの何の変哲もない内容だったけどまあそこはフツーに面白くて後半の戦国の城の話しは割とどうでも良かった。 真田丸の謎―戦国時代を「城」で読み解く (NHK出版新書 474) NHK出版


3/12 2:28[ Twitter for iPhone ]

夏の陣図屏風を描いた絵師は一説には荒木村重の遺児、浮世絵の創始者でもある岩佐又兵衛とも言われている。このお方は洛中洛外図屏風や豊国祭礼図屏風の人ね。大阪城天守閣で本物も見たことあるしレプリカなら毎回見てるけど合戦絵の白眉だし早く国宝にしろよとしか思えないから。
3/12 2:34[ Twitter for iPhone ]

現在の大阪城が夏の陣図屏風の豊臣大坂城を、モデルとして作られたのは有名だけど、豊臣大坂城では鷺と虎が描かれているのに現在の大阪城では鶴と虎が描かれているの確かに不思議だな。
3/12 2:37[ Twitter for iPhone ]

第二章が真田丸の謎に迫る、と言うテーマなんだけど今年のバラエティで千田先生の出てるのも多数見たし正に今年の正月にこれテレビで全部見たわーってなったからテレビ見てれば本は復習程度かな。
3/12 2:44[ Twitter for iPhone ]

第三章が真田氏の城づくりで上田とか、第四章が戦国の城から天下人の城へ、で最早真田は関係なくなっていた。終章 真田丸を歩く、もテレビで見たまんまな感じ。この辺りも今はすっかりお馴染みになったなあ。
3/12 2:45[ Twitter for iPhone ]

小和田さんの本だから少し斜に構えてたけどそこまで気負いする必要なかったかな。北政所も淀殿も豊臣家を守ろうとしたと言う考え方は正しいと思う。 北政所と淀殿―豊臣家を守ろうとした妻たち (歴史文化ライブラリー) 吉川弘文館

3/12 2:57[ Twitter for iPhone ]

淀殿が秀吉様を受け入れた理由として、秀吉様の権力が強過ぎて抗えなかった諦め説、栄華が思い通りになると言う栄達願望説、父母の敵の為豊臣を内から滅ぼそうとした謀略説はどれも見当違い(ましてや秀吉様は子がいなかった)で、淀殿が信心深く、亡き父と母の七回忌をやっていることから
3/12 3:00[ Twitter for iPhone ]

自分が浅井家の菩提を弔わなければいけないと言う思いでいた、秀吉様の側室になることで父母の供養が出来るならそれでも良いと考えていたのでは、と言う考えは納得出来るものがある。私はまあ諦め説かなーと漠然と思ってるけど真実はどうせ分からないからな。
3/12 3:01[ Twitter for iPhone ]

秀頼様を産んだ後に彼女の発願で養源院を建立していることも無視出来ないと。養源院、あの有名な秀頼様と淀殿画像のイメージ強すぎるから、前回は長浜城の企画展で見たけどいつかは現地で見てみたいなあ。
3/12 3:03[ Twitter for iPhone ]

つーか淀殿の説明で福田千鶴の淀殿本からの引用が多過ぎて、殆ど福田本読んでる気になって来たからこんなので良いのかよって疑問なんだけど、それだけ淀殿について好意的な詳しい本がないせいなんです?
3/12 3:06[ Twitter for iPhone ]

太閤さまくんきのうちで小田原に北の御方を呼び寄せているのは、茶々の誤りではなく登場 当時既に淀殿が二人目の正室扱いだったとの意見。鶴松宛の手紙で「二人かかさま」とあることから鶴松には同じ聚楽第に起居していたおねも母と教えていたことが分かると。
3/12 3:09[ Twitter for iPhone ]

鶴松は淀城で生まれ淀城で亡くなったが、始めは大坂城、その後は殆ど聚楽第で過ごしている。淀城で鶴松が亡くなったこともあり、文禄三年三月七日、伏見城の本格的な工事に合わせる形で3/20~淀城は破却され櫓や門は伏見城に移築された。
3/12 3:12[ Twitter for iPhone ]

淀殿と秀頼様の居住地。1593/8/3誕生後暫くは大坂城二の丸。1594/4指月伏見城の普請が終わったが、鶴松が2歳の時聚楽第から大坂城に移ろうとして途中の淀城で死んだことを理由に移動はなし。1595/3淀殿と秀頼様は伏見城へ。
3/12 3:21[ Twitter for iPhone ]

3/2秀頼様移徙(わたまし)の祝儀として後陽成天皇から剣と馬が秀頼様に与えられ秀吉様は叙爵を奏請している。慶長元年五月に秀頼様は従四位下。同年11/18淀殿と秀頼様は再び大坂城へ移る。本丸に入ったのはこの時か。
3/12 3:24[ Twitter for iPhone ]

慶長二年5/14、木幡山伏見城の西の丸に入る。そのまま暫く伏見城に居住するが慶長三年8/18に秀吉様が亡くなると慶長四年1/10また大坂城に戻っている。
3/12 3:26[ Twitter for iPhone ]

いつからは時期は不明だが、以前は本丸ねね、二の丸淀殿、西の丸京極竜子だったのが、西の丸ねね、淀殿と秀頼様が本丸に移っている。またそれまでは秀吉様からねねを通じて淀殿に指示されていたのが秀吉様から直接淀殿に書状が伝えられる様に変化しており、ねねと淀殿の序列に逆転が見られる。
3/12 3:28[ Twitter for iPhone ]

醍醐の花見での淀殿と松の丸殿の杯目争いに関しては北政所と前田利家夫人が仲裁となり、北政所が淀殿を敵視していなかったことが分かる。また黒百合のエピソードも根拠である絵本太閤記や慶長小説の信憑性は低く、描かれている内容も矛盾だらけである。
3/12 3:38[ Twitter for iPhone ]

佐々成政が九州攻めの後に北政所に黒百合を送ったと言うが、成政は1588/5/14肥後の国人一揆蜂起の責任を取らされ切腹している。黒百合の話があったとすれば、それ以前で淀殿が鶴松を生む1年前なので北政所に張り合う立場ですらなかったので、史実としてはあり得ない。
3/12 3:40[ Twitter for iPhone ]

秀吉様が亡くなった後、上杉家年譜ではヤスを伏見、秀頼様を大坂城に移すと共に北政所を伏見、淀殿を大坂城に移すと書いてある。1599/1/10淀殿と秀頼様は大坂城に移るが北政所は西の丸に移り伏見には行かなかった。そしてヤスは伏見、利家が大坂城で政務を執ったが、1599/3/3利家没。
3/12 3:51[ Twitter for iPhone ]

秀吉様の遺言だった伏見のヤス、大坂の利家の仕組みは瓦解しヤスは(三成は既に佐和山城に退いていた為)大坂の三成邸で政務をとり9/12には三成兄の正澄屋敷、後に手狭な正澄屋敷を出て西の丸に移る。北政所は豊臣政権の政務をとる場所は大坂城であるべきと考えヤスにその場所を譲ったと考えられる
3/12 3:55[ Twitter for iPhone ]

北政所が遺言だった伏見でなく豊国社の側に住んだのは亡き夫の菩提を弔う為に豊国社に近い場所に住みたかったからだろうと思われる。
3/12 3:56[ Twitter for iPhone ]

そして関ヶ原、大坂の陣への話が駆け足で描かれてこの本は終幕となる。後書きて、福田千鶴の淀殿田端泰子の北政所おねが相次いで出版されなことで、長年保留していた、この二人の「女の戦争」への疑問をきちんと取り上げたいと言う意欲が固まったと書いてあった。いやそれにしても引用多くないか?
3/12 4:10[ Twitter for iPhone ]

腐だから秀頼様単品絵よりも清正とか幸村とか家臣を隣に置いた方が秀頼様の在るべき姿として激萌えなのでやはり自分で描く時くらいは気をつけたいし、秀頼様と勝永の組合せ最高過ぎるのに情弱だから無双絵ではマジで自分以外の見たことないから自給自足したい。
3/12 10:57[ Twitter for iPhone ]

大戦絵は割と見たことあるんす 確かに大戦の秀頼様と勝永は傑集の鉄板コンビだと聞いているしあのお二人も好きだけど如何せん門外漢だからそんなに安易に入れないよお 正直ゲーセン通う時間的金銭的余裕もないしそれよりもっとやりたいことがあり過ぎてだな。
3/12 11:00[ Twitter for iPhone ]

私も昔はモンスター豊臣厨だと思ってたけど、最近は豊臣モンスターになってるから最早ヒトではない何かになり果ててる。
3/12 17:06[ Twitter for iPhone ]

御宿勘兵衛の話。勘兵衛が仕えた甲斐の武田、信州の依田信蕃、越中の佐々成政は皆志半ばで滅亡したことから、厄神と呼ばれた。いやそれ勘兵衛だけでなく真田昌幸もだぞぇ。塙団右衛門ちゃんとの友情描写良かったな。 くせものの譜 学研プラス

3/12 22:08[ Twitter for iPhone ]

北条家の野本右近との関係は物語の大筋に連なっているところ。182センチの勘兵衛が、後に秀頼様に対し自分より大きい人間を初めて見た、と書いてあったけど団右衛門ちゃんも六尺あったのでは?まあ小説設定でどうなのかは分からないけど。
3/12 22:12[ Twitter for iPhone ]

団右衛門と初めて会った時、佐々家を守れなかったことを悔いているのかと勘兵衛は聞く。そうではなく越中の防戦に加われなかったのが悔しいとただ戦が好きと言う豪傑さを見せる団右衛門。大坂城で再会した時も、戦の為に入城した、嬉しくてたまらないと言う団右衛門。この豪快さ良いなあ。
3/12 22:16[ Twitter for iPhone ]

勘兵衛が大坂入城したのは越前一国を賜わりたいため。結城秀康と共に勘兵衛が目指した越前家は最早枯れ果ててしまった。勘兵衛にとって今の越前家は越前家ではない。←ここ読んでキュンと来るものあった。
3/12 22:31[ Twitter for iPhone ]

185頁~本多富正の語る、秀康の思い出話。初めて大坂城であった時、主家から捨てられた筈の秀康は暗い顔どころか明るき顔をしており、富正が弓や槍や鉄砲を使えると分かると戦の役に立つなと心底嬉しそうに語った。秀康は戦場で武功を挙げ人質の身分を脱し家を興そうとしていた。
3/12 22:36[ Twitter for iPhone ]

皮肉にも秀康の一家の主となりたいと言う願いは秀康や富正の望んだかたちではなく、結城家への養子入りにより叶うこととなる。ここで勘兵衛が結城秀康の下に入る。勘兵衛はヤスが勘兵衛を武田の末裔としか見ず、戦働きをさせず飼い殺すつもりでいたのを知りヤスの下を出奔し秀康の下に来た。
3/12 22:39[ Twitter for iPhone ]

秀康はお前の武辺が欲しいと言い厄神の風説もくだらないと一言で切り捨てた。この辺りの描写好きなんだけど、この後久世但馬が来て思い出話は終わり。
3/12 22:42[ Twitter for iPhone ]

この本の秀頼様の描写も好き。「品の良い声」とか、近臣をじっと見つめる目は「我意を押し付けるつもりはないのか、或いはその様な習慣自体持たないのか、懇願するように見つめ続けるだけだった」とか。「器量や知力などは分からないがさすがに天下人の子というべきか余人にはない風格があった」。
3/12 22:46[ Twitter for iPhone ]

秀頼様の出番はこの大坂入城の時くらい。天王寺口で右近に討たれる勘兵衛。この辺りの描写はよくある真田小説と似た印象受けた。ヤスが首実験で「勘兵衛め、年をとったのう」としみじみした言葉を言ったのは有名ね。右近が何も成し遂げれなかった勘兵衛の人生を無駄とは思わないのもしみじみする。
3/12 22:50[ Twitter for iPhone ]

信長マニア向けで資料分析が深かった。 矢部健太郎さんの「大こうさまくんきのうち」の執筆目的と秀次事件 を目的に読んだ。簡潔に言うと矢部さんの意見が私が認知してる内容と一致してたので安心した。 『信長記』と信長・秀吉の時代 勉誠出版

3/12 23:29[ Twitter for iPhone ]

この本は秀頼様に女性が読み聞かせるためにふりがなが振られている、日付の改変をしてまで秀頼様に秀次事件を教えるべく牛一が記した、秀頼様の素朴な疑問に対する回答(豊臣家としての正答の認識)の意味を持つと。また、秀次は切腹を命じられたのではなく身の潔白を証明すべく自ら切腹したと。
3/12 23:31[ Twitter for iPhone ]

大こうさま~では、1ヶ月後の同じ日に罪過の天罰が廻り来る、と言うのが通底する表現。本書は8項目に分かれるが、中心的項目が三、関白秀次卿の事と四、天道恐ろしき次第の二つであることは割かれたページの分量からも分かる。
3/12 23:35[ Twitter for iPhone ]

大こうさま~では秀次の謀反に関する記述は少ない。秀次謀反説と天動説で秀次事件を説明したと考えると、意図的に日付の改変をしなければ秀次事件の顛末を説明出来なかったのではないかとの意見。これ本当その通りだと思う。
3/12 23:39[ Twitter for iPhone ]

当時秀頼様は2歳程度だったが、本書が執筆された慶長7~15年は豊臣から徳川への時代の変換期に当たり、秀頼様は徳川将軍家の成立を目撃した。豊臣摂関家当主の秀頼様が何故義兄秀次は失脚切腹し関白世襲が困難になったのか疑問が湧くのは自然なことだろう。
3/12 23:42[ Twitter for iPhone ]

本文、参考文献の後に漢字のふりがな一覧(154カ所)がら羅列されてるんだけどマジで資料集のきらいがある。しゅごいな。
3/12 23:43[ Twitter for iPhone ]


<3/13>
新春大歌舞伎、二条城の清正の舞台写真あり。カラーは秀頼様&清正、ヤス、北政所。モノクロ2頁に小さめの舞台写真11箇所。劇評にも少し記述あり。 演劇界 2016年 03 月号 [雑誌] 小学館

3/13 0:07[ Twitter for iPhone ]

堺雅人、大泉洋、三谷幸喜のインタビュー面白かった。ドラマ館の案内はリアタイ感あるしタイムリーでベネ。 真田一族と信繁のすべてがわかる 真田歴史読本 戦国最後の戦いに挑んだ日本一のつわもの (別冊歴史読本 7) KADOKAWA

3/13 0:27[ Twitter for iPhone ]

真田の風景、企画展の案内、写真、コラム、評論、観光情報とがっつり真田。構成も見やすく写真も綺麗だし文章も分かりやすい。上田市、東御市、長和町、青木村、坂城町、松代町、沼田、九度山、大阪エリアの観光案内あり。この本読んで上段の間見たくて蓮華定院マジで予約した。
3/13 0:30[ Twitter for iPhone ]

高野山奥の院の武将の墓巡りは長年やりたかったから今度こそ見に行きたいんじゃー。前回は戦国好きでもない人と一緒だったし私も今程戦国属性なかったからな。各地の真田祭り、歴史散歩コース紹介、マニア向けの城跡紹介も。みなかみ周辺の今度行きたいなあ。
3/13 0:32[ Twitter for iPhone ]

これ本当しっかり作られているしリアタイのガイドブックとしても資料としても良い出来だから今度沼田行く時に持って行きたい。
3/13 0:34[ Twitter for iPhone ]

今月の歌舞伎座が鎌倉三代記で夏の陣をモチーフにしたやつだから見たいんですけどあらすじ予習してたらキムシゲ辛すぎない?実際に辛い展開だったから仕方ないのかもしれないけど熱いぜ。
3/13 0:47[ Twitter for iPhone ]

あと今手元に桐一葉の御本があるんだけど桐一葉も実際に歌舞伎で見たいよおおお 桐一葉やってくれるなら歌舞伎座でなくても全国何処でも遠征余裕だから生の桐一葉見たい;;二条城の清正も他の清正シリーズも見たい;;秀頼様関連は何でも見たいよお;;
3/13 0:48[ Twitter for iPhone ]

これを読んだんだけど脚本だけでも熱い気持ちが起こるけどやっぱ舞台で見たいでしょう?寧ろ余計に見たくなるよ!映像作品でも構わないから忠臣且元見てみたい。 桐一葉 (歌舞伎オン・ステージ (24)) 白水社

3/13 0:51[ Twitter for iPhone ]

巻末の解説。坪内先生の史劇の処女作が桐一葉。従来歌舞伎の脚本は狂言作者によって書かれていたが、劇場部外の劇作家が脚本を提供して上演するのは殆どあり得ないことだった。従来の活歴主義の劇への辟易、沙翁の作意が歌舞伎形式に盛れることが坪内先生が脚本を起こした動機。
3/13 0:57[ Twitter for iPhone ]

逍遥の言う沙翁の作意は第一幕吉野山桜狩、畜生塚御霊で豊臣家没落の前触れとして登場する秀次の亡霊がハムレットの父の趣向、第五幕の奥殿長廊下乳母自害における銀之丞の狂気と入水にオフィーリアを置き換えて挿入したこと等。
3/13 1:00[ Twitter for iPhone ]

物語の最後、且元と重成の、さらば、と互いに言葉を交わし振り返りながら別れていく所は生別離の哀愁をしみじみと訴える名場面だと。ふおおおお本当これ舞台で見たいよおおおおお。
3/13 1:02[ Twitter for iPhone ]

冒頭の概要に、六幕16場とある通り、桐一葉って大作なのね。重成が且元の盟友らしくてあらすじだけでも目頭が熱くなるよ…淀殿がヒステリシスぽいけど且元が豊臣に対して真摯な気持ちでいるのは素敵な物語だと思う。流石は逍遥先生。
3/13 1:06[ Twitter for iPhone ]

築城が200万人達成したから落城でもイケるって考え方シュールだし、次は戊辰戦争150周年の落城オチもシュールだった。 大阪城天守閣 32年ぶり年間最高入館者数更新の理由は | THE PAGE 大阪 http://osaka.thepage.jp/detail/20160312-00000001-wordleafv @thepage_jpさんから
3/13 1:27[ Mobile Web ]

マジで大阪城外人ばっかだと思ったら4割とか言うから摂津国の国際都市ぷりぱねえ 洛中も外人多いけどそれ以上にあそこはいつ行っても修学旅行生いる感じあるよね。
3/13 1:29[ Twitter for iPhone ]

アニむそ見たいけど12話見るとマジで夢見が悪いので特に寝る前には見ないようにしてる 年中大坂の陣関連の本読んでる大坂ヲタだけど無意識の領域まで侵食してくるのアニむそくらいだから本当業が深い。
3/13 2:18[ Twitter for iPhone ]

秀頼様の出番と役割的な意味で一番見返してるの多分9話だし分かりやすく人様にお勧め出来るのも9話だけど私が秀頼様を最もお慕いしている理由の一つが秀頼様の御心が民に寄り添っていて仁徳が深く慈愛に満ちたところなのでそういう意味で11話が一番好きなのよ。
3/13 2:19[ Twitter for iPhone ]

そもそも全体的に個人目線での秀頼様の描写が少ないんですけど、11話は秀頼様視点での豊臣の在り方とか豊臣の概念とかそう言う内面が描かれたことも特筆すべきことだと思うんですよ。
3/13 2:21[ Twitter for iPhone ]

11話の天守閣での秀頼様と甲斐の場面も最初は甲斐は相当側近ポジかなとか思ってたけど、あの人も心が弱くなると思わず本音が漏れるのは他の人間と変わらないのことが堀が埋められたところで実証されてたから特に甲斐にだけ心を許してるとかじゃないんだなと冷静に考えてしまったりしたやつだよ。
3/13 2:25[ Twitter for iPhone ]

アニメ五人衆が幸村くの甲斐慶次正則なのシュール過ぎるんですけど。
3/13 2:26[ Twitter for iPhone ]

弟が沼田こないだも行ったじゃん→もう1年前か早いって言ってたの、私からしたら国内は1ヶ月で時効だし沼田行ったのなんて10年くらい前の感覚だからもう久しぶり過ぎる気がするし、大阪城だって1~2ヶ月間隔で訪問してるけど毎度初めて来る位の心境でわー大阪城だーってはしゃいでいるからな。
3/13 2:30[ Twitter for iPhone ]

大阪城はいつ行っても企画展が変わってるしイベントも多いし季節の花も変わり行くしいつ行っても新鮮な気持ちでいられるけれどもマジでつぎの企画展がヤスなの宗教上の理由で憚られるので訪問を控えたい 天守閣の内部に行ったら精神ごりごり削られる気がする。
3/13 2:32[ Twitter for iPhone ]

豊臣の誇りであり豊臣兵の心の拠り所であり我等の最愛のお城である大阪城の内部が徳川に乗っ取られてヤスの偉業を讃える展示で染め上げられるのかと考えただけで眩暈して来るから豊臣モンスターには入城退避勧告が出されても良い。
3/13 2:35[ Twitter for iPhone ]

フォロワさんが参加してるアンソロのサンプルを試しに開いてみたらモブぽいけど秀頼様いてビクッとした いや別カプだし買わないけど…何なの予想外のところで見かけた突然の秀頼様むちゃくちゃ可愛いね?!
3/13 13:37[ Twitter for iPhone ]


本の感想、引用を羅列し毎度のアニむそで終わる。いつも通りだな。
読書もブログもゲームも絵もそうなんですけど、いつも何かに追われている感じが
しているので一つ一つ片付けて行きたいです。
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