BAD END
ただの個人の掃き溜めです。
DATE: 2016/04/26(火)   CATEGORY: 美術館・博物館
真田宝物館 戦国の絆 第1期展示&上田市立博物館を見て来ました。
松代の真田宝物館 特別企画展 戦国の絆
「第1期 真田 乱世を生き抜く ─ 戦国武将たちの狭間で ─」
(開催期間:4月6日~6月27日)を見て来ました。

上田市立博はコンパクトで見応えあって好き。
また、上田では上田市立博物館で
特別企画展「上田城築城と第一次上田合戦」を見ました。


真田宝物館の目玉、青江の大太刀も感激したけれど、
それ以上に信之様の萌黄威の鎧が見られたのが嬉しかった…!


ツイログ。


<4/23>
真田宝物館。真田昌幸定書。湯本三郎右衛門尉宛。羽尾城の城将を命じたもの。礼紙(白紙の紙)付き。昌幸や信之が出した書状には礼紙が付いているものが多数残っているそうな。この頃からあった習慣なんだ。
4/23 12:35[ Twitter for iPhone ]

秀吉様書状で、昌幸に秀吉様治世では戦をしてはいけないと書いた書状。切封(書状の秘密を守るため紙の右端に切り込みを入れ、紙紐を作り折り畳んだ書状のをぐるりと巻き、端を挟み込んで封をしたもの。巻いた部分に墨で締め封(墨引)を書いて相手に送る)が切れずに残っている珍しい書状。
4/23 12:41[ Twitter for iPhone ]

秀吉様書状。上田合戦の後も上洛してしなかった真田昌幸に対し、昌幸がヤスに従わなかったため秀吉様は真田攻めの準備を始めた。これは景勝が仲裁に入り取り止めになった。その直後の書状で、ヤスに遺恨はあろうが秀吉様は特別に許すので早く上洛する様にと命じたもの。
4/23 12:43[ Twitter for iPhone ]

秀家等連署状。昌幸宛。ヤスの上杉攻めを糾弾。秀頼様が許す筈もない、皆秀頼様に味方するだろう、伏見城も陥落したと言う内容。上方在京、在国の者達は皆秀頼様へ忠節申し上げて無二の覚悟です、伏見城は鳥居元忠始め一人残らず打ち果たした、誠に天罰です。正家長盛三成玄以輝元秀家の花押あり。
4/23 12:48[ Twitter for iPhone ]

信繁書状。家臣 木村土佐守綱茂宛。歳暮に鮭を貰った礼、信之が江戸で活躍していることを喜び、追伸では連歌を勧められたが難しいと述べている。相変わらず文字ぐちゃぐちゃ、いや流れる様な達筆だな信繁…。
4/23 12:50[ Twitter for iPhone ]

昌幸書状。小山田茂誠宛。忠勝が亡くなったので小松姫に弔いを申し入れ高野山の僧を向かわせるのでもてなして欲しいと言う内容。
4/23 12:52[ Twitter for iPhone ]

原昌彦氏所蔵の信繁画像。真田宝物館蔵の大坂陣図夏。矢倉で切腹した側近達の中真田大助の名前あり。「秀頼公御母堂ハ生害 大野修リ 速水甲斐毛利豊前…真田大助…郡主馬…二十五人切腹」云々。大野道犬が捕らえられたり秀頼小児が害されたりと言った内容もあり。
4/23 13:01[ Twitter for iPhone ]

信之書状、信之印章、信之黒印状(3代藩主は幸道に)、幸道具足(紺絲毛引威二枚胴具足)。前回は「プロローグ 信濃の武士の関ヶ原 大坂の陣」だったけど、今回は「第1期 真田 乱世を生き抜く 戦国武将たちの狭間で」。
4/23 13:05[ Twitter for iPhone ]

伝 幸綱所用の六文銭旗。状態悪めだが茜地に金の六文銭は如何にも真田ぽい。大阪城天守閣蔵の長篠合戦図屏風。信長勝家利家一益家政ヤス忠勝他、羽柴秀吉様もおはす。重文の青江の大太刀!長篠でこの刀を奮って討死したと言う信綱の刀。刃毀れあり。
4/23 13:11[ Twitter for iPhone ]

北条武田真田と伝わった黄八幡の旗。古文書ポイントとして印章(花押と違い大量に文書が出せる)、堅紙(紙1枚を二つ折りにせず横長に使う。重要文書に使用)、折紙(紙を横半分に折って書く)の説明。
4/23 13:16[ Twitter for iPhone ]

堅紙として、昌幸宛ヤス書状。1582/9/28 昌幸に所領を安堵したもの。昌幸宛のヤス書状は現存確認出来るのはこの一点のみ。唐冠の兜。矢沢家に伝来した秀吉様拝領と伝わる兜。矢沢頼幸所用。羽根の様についている冠の飾りである(えい)で豊臣紋である五七桐。
4/23 13:20[ Twitter for iPhone ]

ステージ3はプロローグこそ「信濃の武士の関ヶ原 大坂の陣」だったけど、第1期~3期は共通して真田信之がテーマ。当館所蔵の信之画像、信之陣羽織(黒絨、襟と袖口は猩々緋)、信之軍配団扇、鉄扇、萌黄糸毛引威二枚胴具足(無双信之モデルのだ!元は紺絲威だったが享保年中に修復され萌黄絲威に)
4/23 13:30[ Twitter for iPhone ]

豊臣氏奉行連署状(信之に伏見城普請は免除するので沼田の知行に力を入れる様に、と言う内容。長大正家 増右長盛 石治三成 徳善 玄以の花押あり)、同連署状(改めて伏見城普請を命ずる。先のが1593/12/7、これが10日後の12/17)。
4/23 13:35[ Twitter for iPhone ]

昌幸の名前花押入りの秀吉様画像。伝来の経緯は不明。白や緑青と言う色指定の書き込みから、元となる絵を模写したとおもわれる。
4/23 13:36[ Twitter for iPhone ]

真田信幸叙任口宣案。1594/11/2、朝廷から豊臣姓を与えられたもの。従五位下 伊豆守に任ぜられている。「従五位下豊臣信幸宣任伊豆守」「豊臣信幸官叙従五位下」の宣旨。か、かっこえーー!!
4/23 13:40[ Twitter for iPhone ]

三成書状。約束のたにお礼。見事な鷹で有難い。昨夕の訪れ、私も会いたかったが秀吉様は忙しく機会がない。秀吉様の煩いのことを尋ねてくれたが宿に帰るのもままならない、忠勝も尋ねてくれたが忙しく承れなかったと述べる。1598頃か。6日。
4/23 13:44[ Twitter for iPhone ]

秀吉様から拝領したと言う卯の花の茶壺。唐物。白い釉薬(うわぐすり)が卯の花の様に降りかかっていることからこう呼ばれる。
4/23 13:45[ Twitter for iPhone ]

関ヶ原ゾーンでは秀忠書状。ヤス書状二通。信之鎧着込(状態悪)二着。柿色のと浅葱色地。
4/23 13:47[ Twitter for iPhone ]

信之花押、1585,1590,1594,1601,1614,1618,1623,1639と時期により色々使い分けてた様だ。秀吉様は生涯一種だったから多いなーと思ったけれど平均はどれ位なんだろう。そもそも信之様は長生きしたからその点でも多いのかも知れないけど。
4/23 13:53[ Twitter for iPhone ]

ステージ4はプロローグは「戦の記憶」だったけど第1期~3期は「真田家伝来の大名道具」。江戸時代のもの多い。これにて見終わり。信之様の萌黄絲威二枚胴具足はずっと見たかったからやっとお目見え出来た感じ。豊臣信幸口宣案も感動したー。
4/23 14:09[ Twitter for iPhone ]


<4/24>
上田市立博物館。テーマは上田城築城と第一次上田合戦。信幸宛秀次書状。1590/3/8。信幸の陣中見舞に対する秀次の令状。北条氏直宛豊臣秀吉条目(複製)。1589/11/24。沼田領を巡る経緯を述べ北条へ戦線布告。仙石秀久具足。
4/24 9:19[ Twitter for iPhone ]

昌幸信幸宛秀吉書状(複製)。1590/4/11。小田原城は二重三重に取り囲み海上まで封鎖、寝返るものもいる。秀吉様の小田原攻めへの強い決意。景勝宛秀吉書状(複製)。真田は表裏者だが今回は成敗を取り止める。昌幸宛秀吉書状は昨日宝物館で見た上洛を促すものや切封のあるものも複製展示。
4/24 9:23[ Twitter for iPhone ]

昌幸宛秀吉書状。1585/11/19。第一次上田合戦の終息について、石川数正の裏切りのためヤスは重臣を浜松に急遽呼び集めた。秀吉様曰く、石川寝返りの理由は秀吉様に対してヤスは逆心があることを家来は皆知っている、石川が秀吉様の命により重臣から人質を出すよう申し出たが皆に断られたので
4/24 9:26[ Twitter for iPhone ]

進退窮まって自分の元に来たと言う。この様に自分に対する反心が明らかになった以上は自ら出馬(動座)してヤスを成敗すると言う。
4/24 9:28[ Twitter for iPhone ]

宮下太兵衛宛昌幸書状(原本)。1587/7/12。松本(上田市東塩田)の土地を太兵衛に与える。当時から既に塩田が真田領だったと分かる。弁丸安堵状(複製)。諏訪久三宛。上田城瓦3点。真田家伝来大鎧。城下囲村図。幸村画像2点。信之画像。昌幸画像2点。
4/24 9:32[ Twitter for iPhone ]

昌幸宛北条氏邦書状(原本)。1582/3/12。昌幸への返状。この度の武田の没落は仕方ない、北条氏直に属して忠信を励むのはこの時と極った、とある。
4/24 9:35[ Twitter for iPhone ]

上田合戦図。で、ここまで書いていて分かったけど逆から回ってましたね…どうりで小田原から始まって武田に戻って来る訳だ。中央には啄木糸威伊予札胴具足こと昌幸具足もあった。
4/24 9:39[ Twitter for iPhone ]

開善寺宛信玄書状(原本)。開善寺の没収した寺領を返すので臨時の法事で毎日法華経二巻を唱えよ、それで武田の武運が長久に栄えて領地が平穏になったら残る寺の領地も寄進すると言う内容。
4/24 9:42[ Twitter for iPhone ]



3月初旬に行った時は真田宝物館はプロローグ、
上田市立博物館は「真田三代の活躍した時代」を見ていたんですが
その時は友達と一緒だったこともあり詳細ツイしてなかった記憶。

今年はご当地が特に真田押してくれるので私も出来るだけ色々行きたいと思ってます。
そして今から大坂に期待し過ぎてる自分がいる…豊臣勢押し押しでお願いしたい。
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