BAD END
ただの個人の掃き溜めです。
DATE: 2016/05/25(水)   CATEGORY: 旅行
第二次 倭城の旅②(熊川邑城、熊川倭城、安骨浦城)
今回の唐入りのメインは二日目。
熊川邑城、熊川倭城、安骨浦城に行って来ました。

熊川城は西生浦城、順天城と並ぶ三大お勧め倭城だと言うし、
個人的に次は絶対ここに行きたいと心に決めていたのが安骨浦なのです。

もう自明の理だと思うけれども毛利吉政がいたお城だからです。



前日(日本出発日)に殆ど寝ていなかったこともあり、当初よりゆっくり起きたので
いっそ吹っ切れて宿で朝食を摂ってからの出発。
時間的に十分余裕は取っていたので問題ないんですけど。

メトロで下端駅まで行き、下端バスターミナルからバス乗車。
これ、本では58-1番バスに乗ると書いてあるものの、チケット売り場のおばちゃんに
「安骨浦城行きたいんだけど」を言うと、よく分からない行先の書いたチケットを売ってくれ、
「バスは何番です?」と聞くと「ノーナンバーだよ!」とかすげー適当な答え返されてびびった。
何だよノーナンバーって…。
5分くらいするとそれらしきバスが来たので、運転手に安骨浦城に行くか聞くとさっぱり分からない様子。
ただ、他の乗客のチケットも同じ行先が書いてある…。
そして極め付けに、先程のチケット売り場のおばちゃんがそれが安骨浦だ!と叫んでいたので
安心と言うよりええいままよと言った体で9:20乗車。

25分程乗ったところで、いきなりここが終点だと下ろされる。
え、早くないか…と思ったら、そのすぐ近くに目的の315番のバス停を発見。
58-1のバスでなくても、315のバスに乗り換えられれば何の問題もないので安心した。

バス停では、他の乗客の方に熊川倭城(ウンションウェソン)はここだと駅名を教えて貰い、
バス運転手さんも最寄りのバス停でここだよと教えてくれた。10:10下車。
ところで、この熊川城へ向かう道中で「アンゴル倭城」の道看板をなまじ見つけてしまったことが
後ほど喜劇を呼び起こすことになるのだけれどそれは後述。


熊川洞バス停からはすぐに熊川邑城の姿が。
この日の最初の目的地である熊川邑城は、元々は倭寇と近隣の居住日本人を統制するために
作られた15世紀の築城とのことで、熊川城の支城として使われた歴史はあるとは言うものの
その面影は全くなかった。昔の城跡に当たる場所は今学校になってる辺りかな。

そこから熊川倭城は徒歩30分くらい…と思って地図通りに歩くも、
全く熊川倭城の存在を示す茶色の看板なし。
段々不安になって来て、物凄い再開発の工事中のおじさん達に聞くも、
そもそも分からないとか熊川邑城と勘違いした回答をするやら。
方向的には合っているに決まってるんだけど…何度かうろうろしていたものの、
どうしようもなくなったので少し戻って近くのホテルの受付のお姉さんに聞いてみることに。
この方がもう大変優しくて、日本語が話せるだけでなく態々電話で他の人に聞いてくれて、
あの山の麓の白い教会の近くに登山口があると教えてくれた。
ほえーーーーそんな情報何処にも載っていなかったから本当に助かりました。

距離が遠くても場所が特定出来たらもう不安はないと意気揚々を歩き出したものの、
教会の傍でまた迷って二転三転したのは流石方向音痴と言うか…
いや何でネットで見かけた過去の巡礼者はあっさり熊川倭城登れてるんだ。


私相当迷ったんですけど、でも最終的に熊川倭城の案内板を見たら
疲れも苦労も全部吹っ飛んだので問題なしです!

熊川倭城は本当に素晴らしかった。
遺構もよく残っていて登り石垣も綺麗で眺めも絶景、
北の蔚山と双璧を成す重要なお城がこの熊川と言うだけあって大変立派だった。
行長配下の有馬大村松浦天草等々の諸将のお屋敷がこのお城の麓にあったとか。

港と一体化した堅固な要塞、その象徴となる登り石垣、
こんな立派なお城も、再開発で景観がどんどん破壊されているのが心配です。
次に来る時は今回工事中だった、多分ホテルかと思うけど、
それらも完成しているんだろうな…。

本丸にあった看板では清正が築城したとか書いてあったけど小西行長だよ!
正確には小早川上杉小西の順で清正は在陣したことがあるだけだよ!
益々仲悪くなりそうだからやめたげてよお…何故推論で書いたし。


お城自体には満足して、ゆるりと下山。
驚くことにバス停に戻る頃には13:45に。もう時間は気にしないでおこう。


バスで10分程戻ったところで「アンゴル倭城」の看板を見かけたので、そこで下車。
これがね!間違いだったんだよね!

結果としては山三つくらい超えてちゃんと目的地には着けたんだけど、
これ明らかに車用の看板であって別に最寄りの案内ではなかったんですよ。
めちゃくちゃ良い運動になったし山と海の景色を堪能出来たから良いけどね!

そして何だかんだ言って、あれ、看板がない…本当にこの道であっているのか、
ここしか道ないから間違っている筈ないんだけど案内はない…
と不安になった少し先にいきなりまたひょいっと「アンゴル倭城」の看板が出て来たので
タチの悪いゲームの様だった。
こんな看板がなければいつも通りバスの運転手に安骨倭城は何処かと連呼しては
最寄駅を教えて貰うちょっと困った異国の観光客になっていただろうに、
なまじ看板なんか見つけてしまったから…。

でも苦労しただけあって、安骨倭城に到着した時は満足感で疲れも不満も
全部吹っ飛んだから問題ないです!(これが反省しない原因となる)
安骨倭城!勝永がいた安骨倭城!

父の吉成は文禄四年は帰国していた様だけれども、
文禄四年初頭には吉政は渡海しており、父の代理として日向衆を指揮、
10月頃には林浪浦から安骨浦に移動し安骨浦で年越ししたと。

また慶長の役では、慶長二年、吉成は四月中旬までに吉政が待つ安骨浦に到着したとか、
7/15の巨済島海戦(唐島の戦い)でも安骨浦在番だった吉成吉政は巨済島海戦で戦果をあげたとか。

この後の吉政は釜山に行ったり泗川城の築城に拘ったりとあるのだけれども、
もうこの辺り読んでいたせいで私は完全に勝永な気分になってた。
勝永こんな所にいたんだなあ;;;;;;



閑話休題。安骨浦について書こう。
ここは九鬼嘉隆、脇坂安治、加藤嘉明と豊臣の誇る水軍大将を集めた豪華なお城。

三人が交代に在番してたのは良いとして、このお城は非常にユニークな造りで、
曲輪ごとに天守相当の櫓跡や虎口があって各々独立している様にも見えるのが特徴的だった。
豊臣水軍トップとしての自負的なものが各々の家にあったりでもしたのかしら 家庭内別居ですか。

そして曲輪や途中の道は完全に草ボーボーで道…?草…?みたいなことになってたから
ここは訪問するなら冬のが良いかと。
但し、先程も書いた通りここ数年で安骨浦や熊川城一帯は再開発が高ピッチで進んでいる様で、
益々景観が崩れて行ってるので行くなら早めのが良いのかも知れない。


お城の見学は以上です。
帰りに見つけた最寄りのバス停はガソリンスタンドのすぐ傍で、
お城から徒歩10分くらいの距離にあったので本当はアクセス悪くないんだと思う。

良いんですよ!あの山だって勝永が登ったかもしれないしあの道も勝永が歩いたかもしれない
勝永もあの角度からあの海を見たのかもしれない。
かも知れない運転で妄想していると全てが勝永のお蔭で幸せになるから
究極のポジティブシンキングだ。
勝永のことを語っていると段々熱が上がって来るいつもの現象なので話半分で読んでくれれば良いです!


少し冷静めに書いておくと、この日の倭城はどちらも凄く道に迷ったんだけど、
本当はどちらもバス停から歩くぽいし前情報ですらなかなか正確な位置把握出来ていなかったから
タクろうかと思ってたんです本当は。
でも、いざ道を教えて貰えたらじゃあ歩こうって思えたし
実際に歩いた方が地理感覚も分かるし良い思い出にはなるなって気はした。
ハングル全く読めないけどバス停の駅名とか街とかを写真撮っておいたから
次回はもっとスムーズに行ける筈だし。

大人しくハングル勉強しろよって言われるかも知れないけど
基本的に度胸と経験則で旅行は言葉通じなくても何とかなることが身にしみてしまい
駄目な方に慣れてしまったのでそっちのが治せないんだ。



三日目は早朝の便で帰国しただけなので割愛します。

総論としては、前回、西生浦城とか行った時は遠くまで来たなあとか
次はいつ来られるかとか感慨深くなってたけど、二度目の渡海で釜山への心の距離がずっと近くなった。
流石に飛行機の時間もあるから最低3日は欲しいけど三連休あれば1日はまるっと遠征出来るなと。

倭城に興味持つまでは正直なところ韓国殆ど興味なかったけど、
豊臣からの倭城のお陰で興味の幅が広がったのも良いことかなと思ってる。

今回も行きたいお城全部回れて良かったです。
次回は林浪浦に行きたいな。吉成のお城だからね。
また良い機会に巡りあえることを期待しています。
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