BAD END
ただの個人の掃き溜めです。
「天下人の一級史料―秀吉文書の真実」を読みました。
豊臣本を読むとホームに戻って来た感じするよな!
と言う訳で最近の豊臣関連本の感想。


「天下人の一級史料―秀吉文書の真実」 山本 博文
刀狩令が島津家文書に二通あった意味や、
人掃令、身分法令、バテレン追放令の本質や解釈について。
2009年と少し古い御本ではあるものの、しっかりした考察で
読みやすいのに読み応えはあるし興味深い内容でした。

後から気付いたけれど「消された秀吉の真実―徳川史観を越えて 」や
「偽りの秀吉像を打ち壊す」の執筆者の方だったのね そりゃあ面白い訳だわ。


最初は刀狩令。
刀狩令が二通島津家文書に伝来した、しかもその内容は同一ではない。
その理由を立花家文書(こちらにも二通、しかもどちらも原本)と比較しながら考える。
この掴みからして既に面白いじゃないですか。
刀狩令は伝存家によって文言が異なっており、「諸国百姓等刀わきさし弓鑓てつほう」等、
その一覧の比較も面白く。
確かな結論は出ないものの、秀吉様の朱印状の在り方、受け取った大名たちの活用法など、
様々な課題が浮かび上がって来る。

また、刀狩令は秀吉様の勢力圏内全てに発給された訳ではない。
一度出したら二度出さない、と言うのは、一度発布した法令は別に渡さなくても、
基本的に全国を規制する法令として適用すべきものとされていたと。
その時点で知らせるべき相手に出していたのであって、
出していないから限定的な効力しか持たなかったと言う訳ではない。
いったん命じたことは新たな征服地にも適用すると。
受け取った文書を系統的に整理している大名家文書に、本来あるべきと考えられる
秀吉様の朱印状がない場合、それはその大名には発給されていなかった可能性がある。
この結論は当たり前のことなのに、今まであまり考えられて来なかったとも。


次いで、人掃令。
豊臣政権下において、町や在地に家数、人数の調査を命じたと言う法令のこと。
ただ、この「人掃令」を命じた秀次朱印状の原本は存在しないと考えられると。
吉川家文書の人掃令を示唆する内容から、吉川家文書、
そもそも秀次朱印状の在り方まで話が広がって行くのは感心しながら読んでた。

そもそも関白在任中の秀次朱印状は年次推定可能分が237通しかなく、
朝鮮出兵の在陣見舞いが中心で、政治にかかわるものは少ないと。
これは残っていないのではなく、そもそも秀次は政治に関わる文書を発行していなかった。
また、当時25才の秀次には自分の発想で新しい枠組みの法令を出すことは
政治的にも能力的にも不可能だったと思われる。

恐らく秀次は関白になり、朝鮮出兵に専念する秀吉様の朱印状を補足する役割を担わされた。
当然、それは秀吉様と対立するものではなく、寧ろ秀吉様の後ろ盾があって初めて可能だった。
(跡部信氏は、この時期の秀吉様と秀次の関係について、実は自分の権限を徐々に委譲しつつ
秀次の権力基盤を整えてやろうとした秀吉様の主体的な施策を捉えられると問題提起している。)
お拾い様が生まれてから秀次に秀次の政治的な関わりを持つ文書の発給がなくなるのも、
秀吉様の後ろ盾がなくなったからと推測される。


バテレン追放令の総括としては、個人がキリスト教を信仰するのは自由としても、
キリシタンになた大名領主が、領民をキリシタンにしたり、
領内の寺社仏閣を破壊することは厳禁とする、ということで、
そのためにその根本となる宣教師を国外に追放することがきつく命じられた。

秀吉様はバテレンは神社仏閣を破壊すると言う暴力的行為を行っていることを知り、
バテレンを日本には置いておけないと考えた。
日本全国は天下人である秀吉様のもので、知行は今の領主に一時期預けているに過ぎない。
その領主は替わることもあるのに、当座の領主が寺社仏閣を破壊したのでは
次の領主が迷惑する。バテレンが布教によって人々を信者にすることは許しても、
領主が領国をキリシタン王国化することは許せないと。
ほんとそれな!!!!!
南蛮との貿易は振興するつもりだったのも、全くもって道理です。
秀吉様がバテレン追放令を出した翌日、その場にいた大名たちに怒ったと言う内容、
「(バテレンは、さながら)一向衆のように多くの者を自分達の元にひきつけ、
その地の領主たちを殺してそれを自分のものとし、
大領主となって天下人の信長を苦しめるようである。
キリシタンになった者たちを集めれば、司祭たちには従順で尊敬しているので、
時を待って天下人に立ち向かうことも易しいし、日本に大きな戦や問題を引き起こす。」と言うのも
全くもって道理だった。


豊臣政権の取次と指南、の章では、
伊達政宗が浅野長政に送った絶縁状の話が興味深かった。
浅野家文書に見られる「秀吉の懇切な言葉に感激し、自発的に知行を進上した」ように見える
政宗の行動は、実際は長政がいやがる政宗を説得し、そのような文書を書かせていた。
伊達家文書と浅野家文書の両方を読むと、真実が分かると言う例。

政宗からの九か条に渡る絶縁状は、
朝鮮出兵での理不尽な指示、秀次事件の時に長政の上洛が遅れたことを自分のせいにしたこと、
秀吉様の糾明を受けた時に自分を見捨てたこと、自分と仲の悪い者に懇切にしていること、
自分の家来が木下勝俊に討たれ、長政に処理を頼んだところ何もしてくれなかったこと、
それにより世間の外聞を失い、家来を召し使う示しもつけられなくなった、
長政がこのような態度を取り続けるなら何につけても頼もしくない、もうやっていけない、等。

これ、大昔いい悪いスレで見たことあったけれど仲直りしたのが1994年って凄いな。


最後は直江状の真偽、として景勝謀反の真実はどうだったのかについて。
ヤスの軍事行動は、景勝謀反を口実に上方を離れ、
三成に挙兵させるのが目的だったと言うのが通説だが、本当にそうだったのか。
上杉の不穏な動きについて、豊臣政権を預かり、関東に本拠を持つヤスは
もっと切羽詰まった状況だったのではないか。
油断していると上杉が越後を攻略し、軍事的バランスが一挙に崩れる可能性があるし、
常陸の佐竹氏の動きも気がかりだったと思われる。
また、この時点で豊臣恩顧の大名まで動員するには、、彼等から見ても
会津遠征に相当の理由があることが必要だったと思われる。
最初は大谷吉継までがヤスに従って東下しようとしていたことがそれを示している。



どの章も、史料を用いて丁寧に実直に説明していく様は好感が持てたし、
また説得力も増して面白かった。


同じ著者の作品で「日本史の一級史料」と言うのもあるので、これもその内読みたい。
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