BAD END
ただの個人の掃き溜めです。
DATE: 2016/06/13(月)   CATEGORY: 美術館・博物館
大阪城天守閣 「戦国の自己アピール」見て来ました。
大阪城天守閣の常設展「戦国の自己アピール」、「豊臣大坂城と徳川大坂城」を見て来ました。
御座船優雅である。

徳川大坂城は実の処そこまで興味はないと思う傍ら、
現在この目で見ている三代目大阪城は豊臣大坂城を模したものであり
大阪の人々の思いも徳川より豊臣に向いているのだと思うと複雑な気持ちになる気持ちはある。

実際に徳川大坂城の遺構としての現在の大阪城の石垣は綺麗だとも思うし
ゆめゆめ疎かにするつもりはさらさらないのですが、
それ以上に野面積の豊臣大坂城の石垣をこの目で常時見たいと思う気持ちの方が強い。
そう豊臣石垣プロジェクトの出番ですよ!!!!!




以下、公式サイトより。
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3階「戦国の自己アピール」
日本人は自己アピールが苦手といわれますが、豊臣秀吉はとりわけ自己アピール能力にたけ、これを駆使して天下人にのぼりつめた人物でした。秀吉に限らず当時の武将たちが備えていた自己アピール力、「大坂の陣」で存在感を放った真田幸村が後世に与えた影響力など、奥ゆかしさとは一味違った日本人の姿にご注目ください。

◆主な展示品
・銀小札萌黄糸威二枚胴具足

開催日時 平成28年5月17日(火)~7月20日(水)
開催場所 大阪城天守閣 3階展示室


4階「豊臣大坂城と徳川大坂城」
長い間、大坂夏の陣で大坂城は落城したものの、石垣はそのまま残ったので、徳川幕府はその石垣の上に天守・櫓・門・塀などの建造物を再建したと考えられてきました。昭和34年に行なわれた「大坂城総合学術調査」で、現在の本丸地下に石垣が眠っていることがわかり、翌年には、徳川幕府のもとで大工頭を務めた中井家から「豊臣時代大坂城本丸図」が見つかり、豊臣大坂城と徳川大坂城はまったく別の城郭であることが明らかとなりました。今回は、そんな二つの大坂城に関する資料をご覧いただきます。

◆主な展示品
・羽柴秀吉大坂築城掟書 天正11年8月28日付 前野将右衛門尉宛
・大坂冬の陣図屏風(肉筆模写) 左隻
・徳川時代大坂城図屏風
・大坂築城丁場割図
・モンタヌス『日本誌』挿絵「大坂城」

開催日時 平成28年5月18日(水)~7月21日(木)
開催場所 大阪城天守閣 4階展示室
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目録代わりのツイログ。


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豊臣時代大坂城本丸図、大坂城本丸復元パネル(宮上茂太隆監修)、模型(1992馬場勇製作)、豊臣秀吉朱印大坂築城石運定書(加藤嘉明宛、1586/2/23)。築城当初の物と内容は同じ。大きい石を運ぶ者には何人たりとも道を開けよ。
6/13 13:57[ Twitter for iPhone ]

豊臣秀吉朱印状(栗石運搬船の船頭の飯米に古米百石を支給せよ)、同朱印状(宮部兵部少輔長煕大坂普請事)、大坂冬の陣図屏風肉筆模写、大坂陥城之旧図 其の1,3,4。浪華戦闘図とも呼ばれ6枚一組で冬夏の陣を描く。1冬、3冬、4夏。
6/13 14:01[ Twitter for iPhone ]

金箔押桐紋軒丸瓦、金箔押三巴紋軒丸瓦、金箔押鯱瓦片、瓦版大坂阿倍野合戦之図、モンタヌス日本史挿絵 大坂落城、大坂築城丁場割図、徳川時代大坂城石垣普請担当大名表、モンタヌス日本史挿絵 大坂城図、水彩大坂城図、徳川時代大坂城図屏風(1983武内勇吉)。
6/13 14:05[ Twitter for iPhone ]

企画展示 豊臣大坂城と徳川大坂城。この2つが全く別の城と分かったのは昭和34年の大坂城総合学術調査から。昭和6年の現在の天守閣を建てる際も天守台の石垣は豊臣時代のものと思われていたので何の躊躇いもなく秀吉様時代の天守の姿で復興された。
6/13 13:50[ Twitter for iPhone ]

石山合戦配陣図、絵本拾遺信長記 石山消失、羽柴秀吉大坂築城覚書(採石場に誰かの印があっても自分のものとして良い、夜は野宿か大坂に宿を取る、石を運び終えた者は運ぶ者に道を譲る、喧嘩をしない、百姓に横暴な振舞いはしない。前野長康宛、8/28付。9/1~本格的築城開始)。
6/13 13:53[ Twitter for iPhone ]

大坂城絵図、大坂城並びに町中絵図、大坂城乾櫓鯱瓦、同輪違瓦、三葉葵紋鬼瓦、浪華城全図、幕末大坂城写真(本丸東側乾櫓、太鼓櫓、大手門、蛸石)、城中大火図、瓦版伏見大坂堺の大火。
6/13 14:07[ Twitter for iPhone ]

企画展示 戦国の自己アピール。戦国時代の武将達は自分をアピールする為目立つ武装に身を固め、戦場で一番に戦功を上げようとした。逃げ隠れするのは卑怯、恥をかくまいと気後れするのは臆病と罵られた。大坂の陣は武将達にとって戦場で自己アピールする最後の機会だった。
6/13 14:14[ Twitter for iPhone ]

自己アピールする武装、秀吉の自己アピール、大坂の陣における武将たちの自己アピールなど、控えめな日本人とは異なる戦国乱世の人間像に注目。
6/13 14:14[ Twitter for iPhone ]

羽柴秀吉書状(今井宗易宛茶道具拝見の礼)、山崎合戦図屏風、羽柴秀吉密書(山科の藪中に屈んでいた明智の首をひゃくしが切り溝に捨ててあった、上様の罰にあてられた死に様で大満足、の一文が生々しい)、総見院殿追善記、豊臣時代大坂城天守閣図(1978武内勇吉製作)。
6/13 14:51[ Twitter for iPhone ]

金箔押菊文大飾瓦、金箔押三巴文軒丸瓦、羽柴秀吉密書(景勝へ援軍要請)、聚楽第図、後陽成天皇自筆和歌色紙(古今和歌集の素性法師歌 ぬれてほす 山路の菊の 露の間に いつかちとせをわれはへぬらむ)、聚楽行幸記。
6/13 14:54[ Twitter for iPhone ]

豊臣秀吉朱印状。何度も敵対したがその度に許し、肥後国をあげた佐々成政が、熊本領内を統治出来ず秀吉様の面目を潰したた切腹を命じた。決断の正しさをアピール。多くの大名家に渡したが、これは福井の長谷川秀一宛。肥後国へ派遣した面子の中に毛利壱岐守の名前見つけてフフッってなった。
6/13 14:58[ Twitter for iPhone ]

浅野弾正、生駒雅楽、蜂須賀安房守、戸田民部少輔、福嶋左衛門大夫、毛利壱岐守、加藤主計守、黒田勘解由、小西摂津守被仰付、右者共人数二三万召つ、肥後国へ為上使派遣…。
6/13 15:01[ Twitter for iPhone ]

挿絵 水攻防戦之図、秀吉公 金銀を分ちて諸侯に賜ふ図、秀吉公 政峯を引て陣中を見せしめ給ふ図。以下は(伝)秀吉様所用。桐文蒔絵軍配(五七の桐どころか七十一の桐)、金団扇、複製馬藺後立付兜、複製禽獣争闘文綴織陣羽織、複製芦穂蒔絵鞍と鎧、菊桐文蒔絵鞍、桐文蒔絵旅茶箪笥。
6/13 15:07[ Twitter for iPhone ]

豊臣秀吉朱印状(福島正則宛、秀吉様死後十日後のもの)、豊臣秀吉木像(清正記念館に瓜二つのものおり)、豊臣秀頼自筆神号(秀頼八才)、武将花押貼交屏風、諸将旌旗図屏風、籠立笠馬標、大坂夏の陣越前兵首取状、大坂夏の陣森家首取状、関一政判物、複製大坂夏の陣図屏風、大坂冬の陣配陣図。
6/13 15:12[ Twitter for iPhone ]

新撰増補大坂大絵図、摂津名所図会 真田稲荷社、佐奈田山三光宮、錦絵佐々木高綱、番付 妹背山婦女庭訓・鎌倉三代記・伊勢音頭恋寝刃。
6/13 15:15[ Twitter for iPhone ]

銀小札浅葱糸威し二枚胴具足(伝天海所用、ド派手)、天衝指物、猿猴補月図蒔絵胴、菖蒲脇立付金箔押烏帽子形兜、伊予札腰二枚胴具足、三十二間総覆輪阿古陀形筋兜、鉄錆地鳶鼻面、荷担懸鼓、土俵空穂。
6/13 15:19[ Twitter for iPhone ]

大阪城天守閣で「豊臣大坂城と徳川大坂城」「戦国の自己アピール」見て来た。三階のが秀吉様の軍配とか強気な内容の書状とか諸将旌旗図屏風とか諸々面白かったかな。佐々成政に切腹を命じた内容の書状で肥後国に派遣した大名数名挙げられていて毛利壱岐守見つけてフフッってなった。
6/13 22:08[ Twitter for iPhone ]

秀頼八才様の自筆神号あったし、あと恒例の肉筆模写冬の陣図屏風と複製夏の陣図屏風もあった。何か複製でもやっぱり天守閣にあるやつのが外部貸出してるのより綺麗でない?先日両国で見たの大分カラーコピーぽく見えたんだけどジークレー版画とインクジェット印刷くらい違くない?!
6/13 22:12[ Twitter for iPhone ]

本物は良くて半年に一回くらいだけど今年多分まだ出してないから秋か冬には出して下すって良いんですよ 大阪城2年後は戊辰戦争150年に向けて時代進んでしまうだろうから真田イヤーにかこつけてもう少し戦国続けて欲しい。
6/13 22:16[ Twitter for iPhone ]



私ほぼ毎回大阪城は地下鉄の割引で入ってるんだけど、今まで500円だったのが
540円に値上げされていてびっくりだよ
いや大阪城様には嬉々としてお納めさせて頂くけどやはり5階のプロジェクターを
リニューアルさせたのが原因か 世知辛い世の中だぜ。
3月のしんくんヤスを見た時はウォーキングツアーでご招待枠だったので
いくらか覚えてないんで二月以降お金払っていなかったんだと思うと
そっちのが驚きだし時の早さに恐怖を覚える。

大阪城はいつ行っても何度行っても素晴らしいところだよ 大好きだ。
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