BAD END
ただの個人の掃き溜めです。
最近読んだ本。
最近読んだものや、ずっと昔に読んだけど感想上げてなかったのやっと書きます。


①「戦国24時 さいごの刻(とき) 」  光文社
木下 昌輝著。歴史を元にした創作色の強い小説と言った感じ。
お拾い様(not秀頼様)がメインの一編があると言うので手に取ったけど
淀殿のキャラ像が好ましくないし全体的に創作臭の強い短編集。


②「戦国武将英雄譚の誕生」岩田書院
橋本 章 著。秀吉様取り上げてるので読んだ。
光秀、秀吉様、一豊、三成、盛親、小堀遠州をテーマに、英雄譚としての彼等に迫る。
秀吉様を祀った神社一覧が載っているのは豊臣信者にはたまらないな。
生身の人間よりも英雄としての偶像を追い求めるのは自然な流れだし
求められる人間像を具現化している気もするな。



③「豊臣女系図  哲学教授櫻井成廣の秀吉論考集」 桃山堂
櫻井 成廣 (著)。
これは大分昔に読んでいたものの、最初から最後まで豊臣尽くしで
全部紹介させろよとなっていたので今まで書き損ねていたやつです。
概要だけにするけど本当面白い。
本文で言及された文献の原典(写本、刊本)を、
桃山堂ウェブサイト(www.momoyamado.co.jp)のリンク集で紹介しているのもユニーク。



④「秀吉の虚像と実像」 笠間書院
堀 新 (編集), 井上 泰至 (編集)
6月に発売して、読む度に感想書きたいと思いながらもずっと放置していたやつです。
これも全部秀吉様の話だから退屈しないし堀先生の御本ならではの安定感もある。
虚像と実像、どちらで紹介されている内容も豊臣兵にとっては周知の事実なので
目新しさはないけれどエピソードとして好きなのでおk。









以下、各御本について。




①「戦国24時 さいごの刻(とき) 」  光文社
秀頼様、政宗、義元、山本勘助、義輝、ヤスをテーマに、各々最期の24時間を
カウントダウン方式で描いた短編。
「お拾い様」はその言葉を使い続ける意味があってこういうかたちにしたのだろうけど
わざとらしくて興ざめしたし淀の方もう夏の陣でそんな戦の最前線で口出しするような
立場でもなかったしで、正直好きになれず。
政宗も父殺しを予め決意していたとか悪意ある造形は好きになれなかった。
輝宗は立派だし良い父親として書かれていたけど、小説としては何とも。
最後のヤスの話はヤスめっちゃ悪人ヅラくさくてわろた 全体的に創作戦国だった。



②「戦国武将英雄譚の誕生」岩田書院
橋本 章 著。序章で歴女の登場とその背景とか書かれてお、おう…ってなった。
光秀や三成が地元で愛され武将なのは最早完全に常識と言って良いくらい周知の事実でしょ。
秀吉様の章では、長浜・豊国社の十日戎は江戸時代に堂々と豊国様を
御参り出来なかった長浜の民が蛭子神社を装って、奥に会った豊国神社を御参りしていた
名残であると伝える。長浜は今でも秀吉様推しですものねえ。

「神になった秀吉と豊国神社の栄枯盛衰」では豊国神社の歴史や、
豊国祭礼図屏風から見られる当時の様子等に加え、全国の豊国神社26か所の表あり。
主神となっているのは金沢、名古屋、長浜、京都、大阪、神戸、博多、熊本。
他に相殿、合祀、小祠、拙社としての豊国神社がずらり。

①日光東照宮…栃木県日光市山内、相殿、ヤス・秀吉様・頼朝が祭神。
②久能山東照宮…静岡市駿河区根古屋、相殿、秀吉様と信長が相殿に祀られている。
③櫛田神社…富山県射水市大門町串田、合祀、配神は武内宿祢、秀吉様、斯波義将、前田利家。
④豊国神社…石川県金沢市東御影町、主神、元は卯辰観音、神仏分離の際に豊国社になった。
⑤豊国神社…愛知県名古屋市中村区、主神、秀吉様を祀る。
⑥豊国神社…岐阜県海津市平田町者結、小祠、「太閤幼少頃、当村ノ寡婦某ニ僕タリ」太閤屋敷跡あり。
⑦豊国神社…岐阜県大垣市墨俣町墨俣、摂社、白髭神社の別宮として整備。
⑧豊国神社…滋賀県長浜市呉服町、主神、大正七年に豊神社から改称。
⑨豊国神社…滋賀県長浜市高月町森本、摂社、森本神社の摂社。
⑩豊国神社…京都府京都市東山区茶屋町、主神、慶長四年創建の豊国社を復興。
⑪豊国神社…京都府京都市東山区妙法院前、摂社、新日吉神社の境内社。妙法院宮が密かに祭祀。
⑫豊国神社…京都府京都市伏見区御香宮、摂社、御香宮社の摂社。
⑬豊国明神社…京都府京都市伏見区醍醐、摂社、醍醐寺境内に義演が豊国社より勧請。
⑭豊国神社…大阪府大阪市中央区大阪城2-1、主神、京都府京都市東山区茶屋町の豊国神社の別社。
⑮桜樹神社…大阪府大阪市天王寺区大道、摂社、河堀稲生神社の境内社。
⑯豊国稲荷神社…兵庫県神戸市兵庫区平野町瀬谷、主神、秀吉様がご神体。
⑰瑞岡八幡神社…兵庫県神戸市垂水区高丸、合祀、昭和六年に八幡神社に瑞丘社(祭神・秀吉様等)が合祀される。
⑱豊国神社…兵庫県神戸市北区淡河町淡河、小祠、淡河城落城後城主となった有馬氏が秀吉廟を建てたことに由来。
⑲厳島神社…和歌山県橋本市高野口町1829、合祀、配祀神として秀吉様。
⑳豊国神社…広島県廿日市市宮島町、摂社、厳島神社末社豊国神社本殿は千畳閣として知られる。
㉑日枝神社…徳島県徳島市助任本町、合祀、明治三年に山王社から改称。祭神は大山咋神、豊国社、東照宮。
㉒豊国神社…徳島県小松山市中郷町、小祠、日吉神社から明治元年に改称。
㉓豊国神社…香川県丸亀市本島町笠島、摂社、尾上神社境内社。秀吉様伝承あり。
㉔豊国神社…福岡県福岡市博多区奈良屋町1-17、主神、神谷宗湛屋敷跡に祀られた。
㉕八剱神社…福岡県北九州市若松区小敷、合祀、大正十年に字太閤水に祀られていた豊臣神社を合祀。
㉖豊国廟跡…熊本県熊本市黒髪四丁目、主神、加藤清正が豊国大明神を造営したことに始まる。

これを見ると私もまだまだ行っていない所が多いので行きたくなるわ。
ところで北野天満宮にも豊国神社が摂社として存在してるよね?
この表以外にも全国に聖地があるのだと思うともっと教えてくれと詰め寄りたい気分だ。




③「豊臣女系図  哲学教授櫻井成廣の秀吉論考集」 桃山堂
櫻井 成廣 (著)。

アマンゾの紹介文だけでも興味書き立てるに余りある御本。
「著者の目に映った秀吉は「美」の世界に通じた賢者であり、歴史学者や小説家の描く秀吉像とは違った輪郭をもっています。著書はすべて絶版。本書は櫻井成廣の秀吉論を再読していただくための「復刻本的論文集」ですが、全テキストの三割は編者らが新しく作成した背景説明や補足記事で、秀吉研究の最新情報も盛り込んでいます。

著者によれば、秀吉の父親は影の薄い入り婿で、母親が秀吉の生家の世帯主であり、豊臣一族の始祖的な存在です。滅びたとされる豊臣氏の血筋が、女系によって現代に伝わっているとも述べています。そのほかのテーマは、母方祖父は神社の神官/国学者の人脈は豊臣氏とのかかわりが深い/大坂城の古代史から怪談まで/秀吉は宮廷雅楽の専門家?/千成瓢箪は水難除けのまじない、などです。」


豊臣女系図(母の系譜、おばの系譜、姉の系譜)、国学者と豊臣一族、
桃山時代の精神、大坂城の遠景、日本芸能史の中の秀吉様、
千成瓢箪と水の呪術、安土城は古墳か、水へのまなざし。

この中でひときわ目を引く「水」とは何ぞやと言う感じがするけど、
これは櫻井氏は水の形而上学に心を寄せていことに起因する模様。
大坂城の水は美味しくない?から始まって、神秘の井戸、伏見城を守る宇治川、
淀殿の城の話などを紹介していました。


個人的に凄くすっきりしたのが、冬の陣で且元が淀殿の居室を砲撃した時のエピソードについて。
「毎月18日、秀頼様が山里丸の豊国社に参拝するのを知っていた且元は
秀頼様を狙おうと砲撃を行うが、天守の淀殿の部屋に命中した」と言う逸話を
以前ある御本で読んだことがあって、マジかよ場所も高さも違くない…?と
凄く印象に残っていたのにその出典については載っていなくてずっと気になっていたんですね。
それが載ってたんですよ!
慶長18年春に豊国廟を山里丸に移築したのは有名な話ですがその後。

57頁「何故その頃豊国廟が城内に新築されたかと考えるに、細川忠興の書状に
大坂陣は慶長十八年の春から萌し始めたとあり、その月の五月には天守に黒煙が上がって
凶兆を示したと伝え、五月には秀頼が平素の出不精にも似ず(←この表現失礼だと思う)
しばしば住吉神社に参詣しているので、この城内豊国廟の造営も、豊家再興の
祈願の為ではなかったかと思われる。
この豊国廟の位置がやはり山里丸であったことは全図の地図にもあり、
『武徳編年集成』(幕臣で史家でもあった根岸直利の実子、木村高敦が執筆したヤスの一代記。
18世紀仲がに成立。)に冬の陣の末12月18日すなわち秀吉の命日に「山里ノ豊国廟」へ
秀頼が参詣するのを期して、城北備前島の片桐且元の陣所から、明砲手田付兵庫をして
大砲を打ち込ませたところ、天守の二重目に命中して柱が折れ、丁度そこにいた淀殿を
ひどく恐怖させた結果講和を早める事になったと言う。
この記録から判断すれば、豊国廟は山里の東部天守の下にあった筈で、
また山里曲輪の外壁は堀裏に、後世の様な雁木すなわち石段がなく、平地で社殿が
北方からも望まれたことも傍証される。」
この後、昭和四年に豊国廟の参道と鳥居の跡、杭が見つかったこと、
山里から山王と摩利支天の二社を玉造稲荷神社に移したこと等も記載されている。

この本はどの箇所を取っても興味深い内容ばかりなので大変お勧めしたい。




④「秀吉の虚像と実像」 笠間書院
堀 新 (編集), 井上 泰至 (編集)
豪華執筆陣にはお馴染みの人も少なくないです。

井上泰至[防衛大学校教授]/堀 新[共立女子大学教授]/湯浅佳子[東京学芸大学教授]/
北川 央[大阪城天守閣館長]/太田浩司[長浜市長浜城歴史博物館館長]/
柳沢昌紀[中京大学教授]/原田真澄[演劇博物館招聘研究員]/
堀 智博[共立女子大学非常勤講師]/菊池庸介[福岡教育大学教授]/
谷口 央[首都大学東京教授]/網野可苗[上智大学大学院]/
遠藤珠紀[東京大学史料編纂所助教]/森 暁子[お茶の水女子大学研究員]/
米谷 均[早稲田大学講師]/金子 拓[東京大学史料編纂所准教授]/
丸井貴史[上智大学大学院]/谷 徹也[京都大学助教]/藤沢 毅[尾道市立大学教授](執筆順)

虚像編は井上先生、実像編は堀先生で、「実像と虚像、歴史学と文学、どちらも面白い」が
基本姿勢なのでほんとそれなって感じする。

秀吉様の生まれと容貌、青年時代、浅井攻め、秀吉様の出世、高松城水攻めと中国大返し、
清須会議と天下簒奪、秀吉様と女性、秀吉様と天皇、なぜ関白になったのか、
文禄・慶長の役/壬辰倭乱の原因、秀次事件の真相、豊臣政権の政務体制、
関ヶ原の戦いから大坂の陣へ、秀吉様の神格化。
コラムとして北政所の実名、刀狩令、太閤検地、総無事と総無事令、
破り捨てられた?冊封文書、二つの「キリシタン禁令」。

おねね様の本名について、「ね」署名より、「ねね」「おね」「ねい」なのか
表記が揺れているのは毎度の事だけれど、この本ではちゃんと回答を出してくれている。

大日本史料の「秀吉おねゝニくちこたへ候ハゝ、いちにち・一やしばり可申事」の秀吉様自筆書状。
秀吉様自身が「おねゝ」と書いていることから、「ねね」が正しいと分かる。




これで今の詰み本全部消化したので凄い晴れやかな気持ちです。
明日はいよいよ別の本読むぞー!
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