BAD END
ただの個人の掃き溜めです。
DATE: 2016/11/04(金)   CATEGORY: 美術館・博物館
大阪青山歴史文学博物館 「戦国武将の手紙」を見て来ました。
大阪青山歴史文学博物館所蔵品展 「戦国武将の手紙」を見て来ました。
400年前の方より。

秀吉様、清正、正則らの手紙約30通と書いてあったので、
豊臣関連あるなら面白そうだなー、と軽い気持ちで見に行ったら
予想以上の豪華武将が勢揃いだったし何より秀頼様の消息に感動した
秀頼様のあるなら先に言ってよね?!

****<展示概要>(公式HPより)*************************************
所蔵品展 「戦国武将の手紙」
戦国の世を駆け抜けた武将たちが織りなす壮大なドラマは、今もなお現在の我々を魅了してやみません。残された古文書は、歴史に隠れた彼らの生き様や知られざる素顔を今に伝えています。かつて付近にあった山下城の復元を意図し、外観は信長の安土城のイメージで建てられた当館は、戦国武将の資料を多く所蔵しています。その中より特に厳選した武将たちの手紙から、彼らの魅力に迫ります。

会  期
平成 28 年 10 月 4 日(火)~ 12 月 4 日(日)
開館時間
10:00 〜 17:00(入館 16:30 まで)

展示資料
織田 信長、豊臣 秀吉、徳川 家康、加藤 清正、福島 正則、伊達 政宗など、戦国武将の手紙約 30 点
織田信長所用の軍配団扇(重要美術品)も特別公開
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まずツイログ。

<11/3>
昨日行った大阪青山大学博物館。まんま城郭な見た目はぶっ飛んでるしアクセスあまり宜しくないんだけど、企画展「戦国武将の手紙」が物凄く良くて感動した。秀吉様、清正、正則、且元、三成、吉継…そして何より秀頼様の消息もありましてね!秀頼様のあるなら先に言ってよお!
11/3 7:52[ Twitter for iPhone ]

昔は二階も使って企画展やってたのに、段々予算が削られて今年は第一展示室のみの展示になって、講演会も広告も出せなくなってると。全部当館所蔵とのことで私も初めて見るのばかりだったし、本当に勿体無い。重要美術品の信長軍配は保存状態の関係で他に貸し辛いので此処に見に来るしかないとも。
11/3 7:58[ Twitter for iPhone ]

秀頼様の消息は、上臈宛(詳細不明)で、目録の通りの品を送ると言うもの。大判の書き散らしで大らかで気品のある文字はとても美しかった。今日見られる秀頼様の書状はほぼ自筆な印象だけど、祐筆のものはとうに捨てられていて態々残っているもの=自筆が多い、と考えれば良いのかな。
11/3 8:03[ Twitter for iPhone ]


実に良き展示だった。
城郭を模した博物館はインパクト抜群。


大変幸運なことに、11/2 14時~1時間、学芸員の方による解説がございまして、
たまたまその場に居合わせたので非常にためになる解説を聞いて来た次第であります。



学芸員さんのコメントと、説明文のをほぼ全てメモしたら凄く長くなったけど
忘備録として書いておく。


◆信長書状。上杉謙信宛。1568/7/29。祐筆である武井夕庵筆。
信長直筆が確認されているのは永青文庫の一点のみ。
上杉武田が相互にわだかまりを捨て「天下之儀」に努力するよう依頼。

学芸員さん「綺麗な字だと祐筆、汚い字は直筆」
折り紙の説明。
「昔の人は紙を二つに折って、左手に紙を持って右手で文字を書いた。
書き終わるとくるっとひっくり返して下半分に書いた。
折り紙付き、とは鑑定書のこと。この信長書状は掛け軸にする際、
上半分と下半分を裁断して、見やすくしてある。」

◆秀吉様書状。
黒田官兵衛宛。1583年。安国寺恵瓊への対応を指示する。
自分は明日そちらに帰城するので安国寺が登って来たらそちらで待つように伝えよ。
詳しいことは自分が対面の時に安国寺に申す。

◆信長朱印状。1574冬。
吉村氏古とその配下、神野源六郎、伊藤七郎左衛門尉宛。
信長が鷹狩をするので鳥を鷹狩場まで退いたてろ。
但し(それも獲物なので)鉄砲は当てるな。

◆信長軍配団扇。
国重要美術品。信長使用で、長篠の戦いの際丹羽長秀に与えた。
長秀末裔の二本松藩主丹羽家に伝わる。上部に金箔。
元は金色慄然と輝くものがあったと推測される。
学芸員さん「重要美術品は戦前の名称は、今は重文しかない。
これもその内重文になるまも。金箔が剥がれ易いので他に貸出不可。」


●信玄と謙信の書状について。
花押がはんこっぽい。
輪郭だけのはんこで、自分が塗るタイプのものが存在した。
両者は縦長の紙に書いているが、これは東北の文化。
関西ではそういう書き方はしない。


◆信玄書状。
大石真月斎宛。1548小笠原長崎と村上義清の連合軍を破った
塩尻峠の戦いについて知らせたと思われる。
「村上義清の反逆に出馬したところ思いがけず一戦し大いに勝利を得た。」

◆謙信書状。
1570/12。蘆名四郎(盛氏のことか)宛。

◆宇喜多秀家書状。
戦の真っ最中の書状で、走り書き=直筆。
「この書状が届き次第急いで陣替えをせよ」
ゑちぜん殿、とは家老の岡越前守家利か。

◆秀次書状。
羽柴対馬守侍従(山内一豊か)宛。5/26。
「遠国に永い間在陣し方々で昼夜なく働く様子は察するに余りある。
特に用がある訳ではないが陣中見舞いとして手紙を送る。」
遠国とは朝鮮のことか。

◆有楽書状。
京極高知宛。
「約束通り明朝のお出ましをお待ちしています。蚊も多いのでゆるりと来て下さい。」
一行目に「かたじけなく候」と高知の返事が同じ紙に書いてある勘返状。
このことから、高知の方が身分が高かったと思われる。
(勘返状はインラインとして今も使われているね。)

◆ヤス、利家連署状。御伽衆 富田左近宛。
清正が秀吉様の怒りを買って日本に呼び出された。
1596/6/3、清正本人に先行した弁明のための使者が
京都伏見に到着したことを受け二人が連署した。
「(秀吉様の)ご機嫌を見計らい(清正使者の)様子をそっと申上げて下さい。
急ぎ(秀吉様の)お耳に入れたいのでお手すきの時間を捉えて申上げて下さい。」

◆信雄書状。
宗順が一昨日信雄を訪れた時信雄は入浴中で対面出来なかった。
それを詫び、「明後日鷹が捕らえた鶴をご馳走します。
玄治、道碩なども来るので是非貴方様にもおいで頂きたい。」
学芸員さん「鷹が捕った鶴、と言うのはよく出て来る。
鷹は鶴を追い回して捕まえるので、人間が鉄砲で撃ったものより
(恐怖で身が締まって)美味しいと言われてた。」

◆秀忠書状。
1600/4。秀頼様がいよいよ息災に成長されている由めでたく存じます。
ヤスが前田利長に謀反の嫌疑をかけて屈服させた件、同じくヤスが上杉景勝に
上洛の勧告をしているが従わない報告に同意する。

◆兼続書状。
1601/6/5.関ヶ原敗北後の上杉家は弁明に必死の頃。
越後北部の築地修理への返信。
ヤスは景勝の謝罪を認め上洛を要請していた。

◆清正書状。且元宛。8月9日。
豊国社の祭礼について、祭の際の馬の取り扱いについての問合せ。
「豊国御祭祷馬之儀二付、むちひしゃくなし被持候由
方々より由来候ひしゃくに、無御意候共持せ可申候…」

◆正則書状。以心崇伝宛。
「上様(ヤス)の病状は少し進んでいるものの
取り敢えずご機嫌が宜しいようで結構です。」
ヤスの名前の前に闕字。「ヤスの  機嫌」と、機嫌の前にも闕字あり。
(より丁寧に表現するには行を変えて書く。)

◆政宗書状。春日局宛。直筆。
「昨日は天気が良く将軍様(家光)も鷹狩りに出られて首尾よろしゅうございました。
国元からさけのすし(鮭の鮨)を送ります。」
学芸員さん「政宗は、自分は祐筆を使うのが嫌いだ、と言っており、
非常に多くの直筆が現存している。
かすが殿    まさむね、と、自分の名前の真上に相手の名前を記載しており、
これは最大級の尊敬の表現。」

◆光秀書状。家臣 小畠左馬進宛。
「あなたの傷の調子は如何ですか」と言う心遣いから始まる。
季節の挨拶もなく、いきなり要件から始まっていることから直筆と考えられる。
越前で一揆を平定したことを書く。

◆幽斎書状。直筆。里村紹巴宛。
「鶯の来鳴くみざりに日のさして」と口にまかせて読んだものだが
添削して欲しい、と書く。

◆小西行長宛行状。1599年。
益城群の内の150石の知行を命じる。配下の森佐吉宛と推定される。

●宛名が書けている書状について。
金に困って有名人の書状を売る時に、自分の名前が入ったままだと
都合が悪いので宛名の部分を切り取ることがある。

◆京極忠高書状。
古田織部の弟子。中野笑雲宛。
先日の来訪の礼。その後の無礼の詫び。

◆且元書状。醍醐寺 三宝院宛。
1614年閏7月の大仏開眼供養に関するもの。
「天台宗の引頭は竹内門跡が勤めるが、真言宗の引頭は随心院門跡が良いと
禁中(天皇)内々のご意向で秀頼様にも申上げて同意を得ている。」
この直後に方広寺鍾銘事件が起こるので、徳川と豊臣の関係が友好だった最後の頃。

●冒頭の「以上」について。
昔は、紙の少し開けたところから本文を書き始め、書き足りない場合は
余白の部分に少し小さめの文字で埋めるように文字を書いていた。
読む方も、そのルールが分かって読んでいた。
冒頭の「以上」は、可ってに追記されないように、
「これ以上追記はありません」と言う意味で記載した。
(今回の忠興や三成や吉継の書状にも出て来てたし、この話大河でも取り上げられてたね。)

◆忠興書状。織部宛。
織部より贈られた壺が水を入れると四方から漏れ用をなさないのでお返し致します、と言う内容。
内容が内容なだけにややぶっきらぼうで多少の不快さも感じるが日頃の親交も伺える。

◆織部書状。
今朝招かれた茶会の礼状。
「ほり出シの御茶入」を拝見したことの喜びを述べ、いつもながら
心静かにあなたと対面出来たと述べる。宛名は欠かれている。
織部の書はボツボツと切れた独特のもので文字の左払いが長く
字が傾いて見える特徴がある。

◆三成書状。
「二、三日中に帰朝しますので暇乞いに貴方様の陣所へ伺います。」
宛名不明。丁寧な文面なので目上の人宛か。
朝鮮出兵時のもののようだ。
学芸員さん「これも直筆と思われる。三成自身が秀吉の祐筆のような立場。」

◆吉継書状。
黒川殿(黒川晴氏か)宛。9月20日。
「貴方の城の破却及び武者狩りについてどのように仰せ付けましたか。
この両日中には陣替えをして下さい。滞留なく急いで下さい。」

◆秀頼様消息。
幼少時より一級の教育を受け、大らかな雰囲気の中にも気品漂う書風。
宛先は「上らふ」(上臈)宛だが具体的には不詳。
「此春のしうぎ(祝儀)」として目録の通りお送りします、と言う内容で
「ひで頼」と署名する。このような仮名書きの手紙を消息とも言う。
学芸員さん「先程、綺麗な字は祐筆、汚い字は直筆と言ったが。
残されている秀頼の書状は全て同じ筆跡なので直筆と思われる。
ゆっくりした大らかな人物像を感じさせる。」

「なを〱 めてたく 又々かしく
  此春の しうぎと 仰られ候 て
   目録の ごとく 送給候
 いく久しくと 
   
  悦入 まいらせ候
   めてたく かさねて 可申候
  かしく
         二月十二日  より
         上らふ   ひて頼
         御中           」

◆伝淀殿和歌色紙
金銀装飾の美麗な色紙に歌一首を書き散らする。
拾遺集の源重之の「花の色に染めし袂の惜しければ 衣替え憂き今日にもあるかな」




以上です。内容も、学芸員さんの解説も、兎に角素晴らしかったです。
本当に行けて良かった!

七年前の亡くなった先代の館長さんが戦国が好きで、色々と買い集めていた
コレクションだそうで、今回の展示物は全て当館蔵とのこと。

来年も大河に便乗するなら井伊家になるだろうけどまた豊臣関連出して欲しい。
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