BAD END
ただの個人の掃き溜めです。
DATE: 2016/11/04(金)   CATEGORY: 美術館・博物館
井伊美術館「井伊と真田と ―智謀と勇略の系譜―」を見て来ました。
井伊美術館 平成28年度特別展
「井伊と真田と ―智謀と勇略の系譜―」を見て来ました。
赤備え天下一。

会期ギリギリだったけど無事に行けて良かったです。
治長の兜があると知ってこれ見たいわあ思ったのだけれども、
なかなか日程が合わなかったので行けて良かった…。

夏の陣で重成が使った弓、信繁が夏の陣の時に被っていた兜もあって
驚くやら動揺するやら…現存していたの?本物なの?

井伊美術館は、名前こそ美術館だけれども実際は個人のお宅の蔵なので
入館も30分までが規定で、多分そんなにかからないと思いますが、と
前置きで言われたけどなかなかどうしてと言う感じです。

秀頼様や七将星関連の品は書状含め結構あちこちで見たことがあったのだけれど
治長ゆかりのものって実は初めてだったので嬉しいなと。

館内には由来は不明と言われる、但し間違いなく戦国時代の実物である鎧等が
所狭しと文字通り物置の様に無造作に置かれてました。
清正像や真田隊の冑もあって見入ってしまった。

館長でなかったので疑問点には殆ど答えて貰えなかったのは残念だけれども、
行けただけで御の字と思っています。
勿論、井伊家ゆかりのものが一番多くて、ここは勿論来年こそ本領発揮なんだろうなあ。


一部だけだけどメモ。


・六十二間小星兜。(彦根藩家老岡本家伝来)
「1615/5/7、秀頼父子最後の場所大坂城腰部のシュサン櫓」(井伊家原文ママ)で
治長が井伊直孝と密談の節渡した治長遺品と伝えられる。
この時直孝に同道した岡本宣就が受け取ったもので
筋書きは子孫の半介就久の手に渡ります。
兜の箱を開被したらこの呪文を誦して霊を慰めたと言われている。
(兜を納めた箱に、呪い払いの呪文が書いてあったってことか。)

・黒塗籠重藤弓(大坂夏の陣 木村重成所用)
重成が若江で戦った時に所有していた弓。
若江の西村家に永く秘蔵されていた。
かつて若江の小学校で近郷所蔵の古器物展を開いた時
西村義一郎氏名で出品された。

・六十二間小星兜。(上州成重作)
伝・真田信繁 夏の陣所用。越前士西尾仁左衛門所獲。
越前松平旧蔵で元は家臣西尾家より献上された。
信繁を討ち取った西尾宗次が分捕った品とされ上州の商人・成重の作。
脇立の角本があるが沸立は遺っていない。
意匠的に優れたやや小振りの鹿角がつけられていたのでしょう。
朱のシコロに白熊の引き回しが付属します。
越前松平家重臣山懸家伝来の一つ。

・重成軍武将 牟礼孫兵衛の位牌と冑のパネル。
井伊隊の士・大鳥居彦三郎に討ち取られた木村隊の武将。
この兜は彦三郎が孫兵衛の首と共に討ち取り、子孫代々供養した形見。
→この写真について、現物も井伊家美術館に伝わっているのかと伺うと、
館長なら知っているかもしれないが自分では分からない、
ただ、うちで撮られた写真ではある、との回答だった。

・朱塗頭形兜
真田方の将が用いた。
表面に朱漆を厚く塗っている。

(井伊の赤備え関連)
・直孝所有具足
・直政具足
・直孝所有具足(大坂の陣で使用)
・木俣守安所有具足

(その他)
・井伊直政直筆条書(直政最古の文書)
・ヤス朱印状(今川家の将・三浦元貞への安堵状)
・黒田家の薙刀拵
・柳生家の薙刀拵
・島津家の櫃
・清正像…肥後の仏師 源光敬が朝鮮から帰陣した際の
       清正の姿を模して彫刻した。厨子も本来のもの。


変わりどころでは、
・大塩平八郎の木製大砲 等もありました。



館長略歴を見たら主論文で凄く面白そうなの書いてらっしゃった。
木村長門守重成討死の節の佩刀について(「刀剣美術」平成7年10月)
竹中重治と伝説の名物刀 虎御前の研究(「刀剣美術」平成9年5・6月)
ふおお…これら読みたい…。

時代ちょっとずれるかもだけど虎御前ホンモノ見てみたいものです。
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